「私がすべき正しいことなら、いつ死んでも後悔しない」
[ヨンジョンのバカみたいな愛]キム・ジンスク指導委員と共に釜山から青瓦台まで希望の歩み3日目の話
ヨンジョン (ルポ作家) 2021.01.04 12:20
治療を中断してきたので私にもわかりません
1月1日午前11時、慶尚南道密陽市三梁ジン邑三郎津駅の前。 「解雇者復職、雇用安定ない売却反対、重大災害企業処罰法制定のためのキム・ジンスク希望の歩み」3日目の日程が始まる。
「出発します!」
密陽川と洛東江の海水がぶつかってゆらゆらするという115年の歴史を大事に保管した三郎津駅。 その名前にふさわしく、全国から50人ほどが集まって 「キム・ジンスク復職」などと書かれたゼッケンをつけ、旗を掲げて歩き始める。 寒波予報があったが、望外にも暖かい太陽の光が映り早春日のようだ。
▲希望の歩み3日目の日程に参加するキム・ジンスク指導委員と参加者[出処:ヨンジョン]
「昨年も歩いた道だが、初日は歩けないほど風がとても吹いて、皆苦労した。 ずっと向かい風で行くけれど… 昨日も少し寒かったけれど、今日はずいぶん良いね。」 (キム・ジンスク指導委員)
韓進重工業の作業服を着て、まん前でつかつかと歩くキム・ジンスク指導委員の歩みから、 堂々とした固い決意が感じられる。 キム指導委員は歩く間中「重大災害企業処罰法しっかりと!」という文句を書いたうちわを手から離さなかった。 うれしく笑いながら挨拶するキム指導委員に、話さないと約束した 「体調はどうですか?」という言葉が出る。
「体調ですか? からだの話はするな(笑)。 からだはただ治療中断して出てきたのだから、私もわかりません。 どんな状態なのか。」
キム・ジンスク指導委員が不便な憂いの表情なく、私が恥ずかしくないように回答をする。 携帯電話端末機で粗雑に写真を何度も撮るのが煩わしいかもしれないが、 「ヨンジョン同志ご苦労さん!」とうちわを持ち上げてくれたり、 指でVポーズを取ってくれた。
「撮って〜撮って〜」
キム指導委員は中間中間、デモ行進に参加した人の写真撮影の要請に快く応じながら、 茶めっけたっぷりの話で周辺の人々に笑いをプレゼントしたりもする。 多くの人がキム・ジンスク指導委員の言葉と文で彼女を記憶するが、 まさにキム・ジンスクという名前を胸に抱かせるのは、 彼女が持つ低いところ、弱いことに対する尊重と謙そんだ。 組織でよく言われる「級」や積極的な「ファン」が近付いてくると、 うれしく挨拶を交わして、しばらく後、後にいる誰かに 「○○同志、おかわりありませんか?」 「○○同志、きてくれて有難う!」と先に挨拶をする心だ。
▲3日目の徒歩行進をするキム・ジンスク指導委員[出処:ヨンジョン]
これで復職できるのなら
多くの人が定年になる前日まで、復職の知らせを待ったが、 結局キム・ジンスク指導委員は道の上で新年を迎えた。 そして約束でもしたかのように、また多くの同志が新年初日その道に共に立った。 キム・ジンスク指導委員が徒歩デモ行進を始めた日、 韓進重工業使用者側は突然あせったのか、 金属労組が新規採用と役職員募金による慰労金の提案を拒否したという報道資料を会社の出入報道機関に送った。
旭硝子非正規職解雇労働者と蔚山大宇バス(ザイル大宇商用車)解雇労働者、 双竜自動車・釜山鉄道労働者、星州THAAD配置反対対策委、 大邱から来た市民と活動家、韓進重工業労働者、金属労組役員などが共にする。 途中で合流する参加者がいて、歩くほどに希望の歩みはますます増える。
「キム・ジンスク同志が歩くというので、連帯のために参加しました。 体調が悪いのに、歩く姿を見ると気が楽ではありませんね。 私たちはほとんど全体が大量解雇されたので多くの労働者が一緒にしているのですが、 キム同志は一人で闘争してきたのですから本当にすごい。」
昨年10月4日、356人の整理解雇で工場再稼働と復職を要求して闘争している 蔚山大宇バス(ザイル大宇商用車)のある労働者は、 キム指導委員が蔚山大宇バス工場にも訪問したことがあったとし、 ぜひ健康になって闘争してほしいという期待を話す。12月4日に蔚山地方労働委員会で大宇バス整理解雇が不当という判定をしたが、 使用者側はまだ整理解雇撤回をしないでいる。
▲3日目徒歩行進日程に参加する全国から集まった参加者[出処:ヨンジョン]
「いつも全く同じです。 解雇者がいない世の中のために歩くんです。 定年になる前に復職しなければならなかったのに、できないのはつらいです。 体調も良くないが、歩くというのだから気持ちが… 私にできるのはこんなことしかなく、本当に苦しいです。 それでもこの間、歩いて、パク・ムンジン同志の問題が解決しました。 この歩みでキム・ジンスク同志の問題が終わって、 明るい姿で韓進重工業に行って同志と会って、からだの治療もできればうれしい。」
双竜自動車昌原工場で働くユン・チュンニョル氏が涙声で話す。 11年間の苦しい闘争で、最後の解雇労働者が復職して6か月目の昨年末、 双竜自動車はまた法定管理(企業回復手続き)申請をした。 ユン・チュンニョル氏は韓進重工業と大宇バス、双竜自動車すべてが 特典を受けて入ってきて、土地を高く売り、利益をあげて労働者を街頭に追い出しているとし、 国全体が投機化されいると言う。
旭硝子で非正規職として働き、解雇されて今年で8年目の闘争をしているナム・ギウン氏は、 工場の前にあるテント座込場で座り込みをして直ちに密陽にきたといった。 疲れていないかと聞くと、座込場が寒くて寝られないことはあったが、 まだ若いからか大丈夫だという。
「徹籠と3日を休む機会でもありますが。 特に約束もせず、ただ休むより意味がある1日を過ごすほうが良いのではないかと思って ここにきたのですが、知っている仲間と会えてうれしくて気持ちも良いです。 解雇されて35年闘争しているのに諦めず、今まで闘争していること自体が闘争する労働者が持つべき心がけだという気がして尊敬の気持ちになります。」
この日の徒歩デモ行進には、昨年末ムン・チョルサン支部長(金属労組釜山梁山支部)と共に、 キム指導委員の復職を要求して27日間のハンストをした シム・ジノ氏(金属労組韓進重工業支会)が安静期間なのに参加した。 体重が12kg減ったというシム・ジノ氏は、まだ食事を食べられず力がないはずだが、歩いている。 青瓦台前の希望バス企画団活動家など7人のハンストはいつしか11日目を迎えた。
▲双竜自動車労働者と共に写真撮影をしているキム・ジンスク指導委員とパク・ムンジン指導委員[出処:ヨンジョン]
歩いて死ぬかもしれないのでキム指導委員は最も弱い闘争だと
「ただ苦しくて出てきました。 病院にいるのも苦しい。 さらには青瓦台前でのハンストと、セウォル号遺族も座り込みをして、 重大災害企業処罰法遺族がハンストをしているとは、 本当にとんでもない話です。 これらの問題が解決せずますます深刻化して累積するような気がします。 これで私がちょっと歩ける時、少しでも力を補わなければならないと考えて。 特に、韓進重工業が今また売却を控えて雇用危機が迫るのではないかという危機感もあって。」
キム指導委員は韓進重工業の売却について、 雇用問題を知らせることも今回の徒歩デモ行進の主な目的だといった。 昨年末、韓進重工業売却優先交渉者として東部建設と韓国土地信託で構成された東部建設コンソーシアムが確定した。 韓進重工業支会と釜山地域労働・市民団体は、 東部建設コンソーシアムを敷地売却を目的とする投機資本だと規定し、批判と憂慮の声をあげている。
徒歩デモ行進は和気あいあいとした雰囲気の中で進んだが、 韓進重工業の労働者たちは緊張感でいっぱいの目つきでガン再手術治療を中断して出てきたキム指導委員の状態を瞬間毎に注目している。 韓進重工業で42年間働き、2年前に定年退職したチャ・ヘド氏(金属労組韓進重工業支会前支会長)もそのうちの一人だ。
「私たちは止めさせたかったんですよ。 歩いて死ぬかもしれないので… 幹部がきて泣き喚いて… しかしキム指導委員は、これが一番弱い闘争だと思うんです。 これを出来なくすれば、もっと深刻な闘争を自分一人で決めることもできる。2003年(キム・ジュイク烈士)のような選択をしてはいけないから、労組の人々が悩みました。」
悩んだ末に、それでも徒歩デモ行進はさまざまな人が一緒に行い、 途中で異常があればすぐ病院に行って治療も受けられる余地があるのでまだ幸いだという考えに達するようになったという。
チャ・ヘド氏はキム・ジンスク指導委員の復職には、 個人的な理由よりも社会的な理由のほうが多いだろうとし、 キム指導委員が個人的に話したことを聞かせてくれる。
「私は、私がしたいことができれば、いつ死んでも後悔しない。 本当にこれが正しいことで、するべきことならば、死ぬこと程はあまり重要ではない。 みじめに長く生きるよりも堂々と生きたい。 いつまでも闘病して死ぬよりも、いっそ私がしたいことをして、 生きてできることに最善を尽くしたいと… こう話した時、私もぐっとなりました。それもそうだ…」
キム・ジンスク指導委員の復職に関して、 政府と経済人総連・全経連は彼女が当然受け取るはずの解雇期間の賃金を国民募金による慰労金方式の先例を作ろうとしていると言う。 チャ・ヘド氏は会社と政府が当然負うべき責任を国民に転嫁するような先例は、絶対に作らせても、受け入れてもいけないと話した。 チャ・ヘド氏は青瓦台に到着するまで、キム・ジンスク指導委員と共にする予定だ。 現在はキム指導委員が釜山に行き来する車の運転をして共に歩いている。 キム指導委員は大邱から後はその地域で宿泊することになるが、 目的地の青瓦台に到着するまでキム指導委員の健康を管理することが 韓進重工業労働者の最大の悩みだ。
▲三郎津駅から密陽駅に歩く希望の歩み[出処:ヨンジョン]
癌患者が闘争に立ち上がらなければならない無慈悲な世の中
パク・ムンジン:旗、旗はどこだ? 旗を持って写真を取らなきゃ〜
キム・ジンスク:ああ、ちょっと持っていて〜、真情性がない人だね〜
パク・ムンジン:サンティアゴではみんなこうして歩きを助けた。
キム・ジンスク:サンティアゴに行ってきたようにいいますね〜
パク・ムンジン:(笑)
キム・ジンスク:これで戦います。毎日。 私は間違いや健やかになってあげて誤りを正して。 30年間、こうしているんだ。
筆者:パク指導委員さんが戦ったことを忘れてる?
パク・ムンジン:私はかなり性格が良い〜
筆者:そうも言えますね〜
▲共に歩いているキム・ジンスク指導委員とパク・ムンジン指導委員[出処:ヨンジョン]