なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】

なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】

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琉球新報

燃える車 50年前の「コザ騒動」

群衆に襲われ、炎上する米人車両=1970年12月20日、コザ市中の町

発生時のコザ市の軍道24号とゲート通りなどの状況(建物名は現在のもの)

「おとなしい」沖縄人 ここまでした背景

米軍人・軍属の犯罪発生件数

「基地」そのものへの恐怖 蓄積した不条理

沖縄戦から続く哀しみ、痛み、苦しさ

焼けた車からは夜が明けても煙が上がっていた(松村久美撮影、沖縄市史編集担当所蔵)

人々の置かれた状況 考える機会を今年12月12日、沖縄県那覇市の琉球新報社1階で外国車両をひっくり返すアートパフォーマンスがあった。半世紀前に沖縄で起きた「コザ騒動」を考えようと大学生が企画したこのパフォーマンスには批判の声も上がったが、そもそも私たちは「コザ騒動」のことをどれだけ知っているのだろうか。 「暴力はいけない」。米軍関係の車両を焼き打ちにしたという事象だけを取り上げるとそう思う方もいるだろう。しかし当時米軍からも「おとなしい」「従順」と見られていた沖縄人がなぜこのような行為に出なければならなかったのか。その要因や背景に、心を寄せる機会はこれまであっただろうか。50年前の沖縄の人々の置かれた状況がどんなものだったのか、それは今にどう結びついているのか、読者のみなさんと一緒に考えたい。

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