騒動後、通りはゴーストタウンに 沖縄の矛盾が凝縮された街【#コザ騒動50年】

コザ騒動当時を振り返る金城恵美子さん=沖縄県沖縄市
米統治下の沖縄で人々が怒りを爆発させた。約80台の米軍関係の車両を焼き打ちした「コザ騒動」から今年で50年。騒動後、経済制裁のように米兵たちの市内への立ち入り禁止措置が発令された。基地によって経済が成り立っていた街は大打撃を受け、米軍から派生する商売で生活が成り立っている人とそうでない人で溝が生まれた。なぜあの事件が起きて、その後何が起きたのか、主に女性たちの証言から見つめ直す。(玉城江梨子)
歓楽街から人が消えた

通りから人が消えゴーストタウン化していることを伝える1970年12月24日の琉球新報朝刊
50年前のクリスマスイブ。当時沖縄で最大の歓楽街だったコザ(現沖縄市)の街はネオンが消え、ゴーストタウンと化していた。 1970年12月20日未明、5千人もの群衆が米軍関係車両を次々と焼き払ったコザ騒動後、米軍は兵士たちにコザ市への立ち入りを禁止する「コンディション・グリーン1」を発令。オフリミッツとも呼ばれ、事実上の経済制裁といえる米軍の措置だった。基地によって経済が成り立っていた街は大打撃を受けた。米兵相手の店はシャッターを閉め、街から人が消えた。 複数のクラブなどを掛け持ちして働いていた雛世志子(ひな・よしこ)さん(89)=当時39歳=の勤務先も一時閉店した。「その間は収入がない。閉店が長引くほど生活は困った」 コザ商工会議所がまとめた「コンディショングリーン発令中の損害とその影響について」によると、12月20日~29日までの売り上げの落ち込み率が最も大きかったのは米兵向けの飲食店「Aサインバー」で100%。質屋92・4%、ホテル・旅館85%、レストラン80・5%、時計店77・1%と続き、全業種では63・6%の落ち込み率だった。あらゆる業種に影響が及んでいることからも当時のコザ市の経済全体がいかに基地に依存していたかが分かる。
言えなかった違和感

高校生の頃の金城恵美子さん(後列左から2人目、本人提供)
コザ騒動当時、高校生だった金城恵美子(きんじょう・えみこ)さん(67)=当時17歳。学校では現場を見た同級生たちが興奮気味に話していたり、授業で話し合ったりした。「沖縄人の怒りが爆発した」と騒動を肯定的にとらえる意見に、金城さんは違和感を抱いていた。金城さんの親は米兵相手の店が立ち並ぶセンター通りで米兵相手の宝石店を営んでいた。「怒りは分かる。米兵も嫌い。でもこれが正当なやり方なのか」と暴力を正当化できないという思いと、「米軍がいなくなっても困る」という生活の糧としての米軍の存在を否定することができないという負い目のような感情も抱えていた。しかし、「これはずるい考え」といった思いも交錯し、自身の考えを口にすることはなかった。 店舗と自宅のあるセンター通りは夜になると酔った米兵であふれた。金城さんの両親は「米兵が多いから危ない」と娘たちに帰宅後は外に出ることを禁じた。通りには店が流す音楽だけでなく酔った米兵の話し声、怒声、笑い声が一晩中響き、とにかく騒がしかった。けんかをしてビール瓶を投げつける者もいた。翌朝になるとガラス片があちこちに散乱していた。「米兵は大きいし、何をするか分からないから怖かった。ここに来て酒を飲むか、女を買うかーの米兵が嫌だった」
米兵は嫌いなのに…
自分の同年代の少女がレイプされ殺される事件もあった。向かいの店のオーナーは米兵のけんかの仲裁に入り殺された。「この2つの事件は衝撃というか、許せなかった」 事件事故があっても裁かれない米兵への怒りを感じながらも、自分の生活はその米兵の落とすお金によって成り立っているという矛盾。ほかの人のように「基地反対」ともろ手を挙げて言えない苦しさ。高校生になると「なんで私は毎日ここに帰ってくるんだろう」「私って何?」と自らに問うた。
その後のコザ

街への思いを語る金城恵美子さん
騒動後、街への経済制裁のように発令された「コンディショングリーン1」で、米軍から派生する商売で成り立っている人とそうでない人でコザは割れた。日本復帰を前にした不安もあり、住民同士の溝が深まっていった。 72年の日本復帰、ドル価格の下落などでコザの街の基地への依存度は次第に低くなっていった。沖縄全体の基地経済への依存度も72年の復帰時に15・5%だったのが、2016年度には5・3%と大きく減った。 コザ市は74年に隣の美里村と合併し、沖縄市となった。 かつてのようなにぎわいは今の沖縄市にはない。高校生の頃、この街に息苦しさを感じていた金城さんは、両親が営んできた店を数年前に継いだ。母となり子を育てるうちに自分の気持ちにも整理がつき、この街で暮らす人々のたくましさにも気がついた。「本当に閑散として、街がつぶれそうなんだけど、なぜかいとおしい。不思議な街」とほほえみながら通りを見つめる。

