「遺骨土砂」問題が照射するもの 

「遺骨土砂」問題が照射するもの 

-顕現する沖縄戦/戦後護憲運動の再審-

毛利孝雄(土砂全協首都圏G/沖縄大学地域研究所特別研究員)

◎「平和の礎」ハンガーストライキ

 6月19日から23日「沖縄慰霊の日」までの5日間、具志堅隆松さんら による2度目のハンガーストライキが県庁前広場・平和の礎で 行われた。沖縄戦犠牲者の遺骨等を含む土砂による辺野古埋め立てを 許さないための、やむにやまれぬ行動である。「世の中には絶対と 言えることはそんなに多くない、けれどもこの計画だけは絶対に 間違っている」-具志堅さんの渾身の言葉だ。

 北上田毅さんは、6月23日のハンストの様子を次のように綴られ ている。

 「…朝から雨が降り続く生憎の天気だった。追悼式典はコロナ禍の ために参加者は30人規模に縮小されたが、やはり平和の礎に参拝する人 たちが後を絶たない。多くの人たちが参拝の後、座込みテントに来て くれ、今日一日だけで遺族の方の署名が441件、一般の方の署名が590件 も集まった。3月のハンストもそうだったが、具志堅さんの訴えは多く の県民の共感を呼んでいる。」(チョイさんの沖縄日記2021/6/23)

 玉城デニー沖縄県知事は7月には、防衛省が提出した辺野古「設計 変更申請」に対する「不承認」を発表すると思われる。遺骨土砂を めぐる問題が、「不承認」理由にどのように反映されるかは定かで ないが、県民が最も注視している点であることは間違いないだろう。

◎顕現する沖縄戦と遺骨の放置

 防衛省の当初の埋立土砂調達計画は、西日本各地から7割強、残りを 沖縄県内の北部地域からとされていた。沖縄県は、県外からの大量の 土砂搬入に対し、生態系保護の観点から「土砂条例」を制定し、外来種 駆除策の徹底を求めてきた。防衛省は、この間、外来種の殺処分実験 なども行ってきたが、有効な策を見いだせなかった経緯がある。

 防衛省は昨年4月の「設計変更申請」に際し、宮古・石垣や離島を 含む県内全域の採石業者に調査を行い、辺野古埋立土砂の全量を県内で 調達可能との結論を出している。

 県内調達可能量は、必要土砂の2倍におよび、その中の7割を南部 地域から調達する計画になっている。

 そこには「土砂条例」の回避に加え、辺野古問題を沖縄県内に押し 込むこと、さらに土砂利権を通じた県内世論の分断も意識されている はずだ。(なお付言すると、南部地域からの土砂搬出が中止されれば、 埋立土砂は県外からも調達されることになり、県外土砂には「土砂 条例」が適用されることになる。)

 「鉄の暴風」と形容された唯一の地上戦が闘われ、県民の4人に 一人が生命を落とした沖縄戦への想像力は存在したのか。南部地域は その中の最激戦地であり、今も多くの遺骨、不発弾が発見され、また 地中に眠ってもいる。

 沖縄戦終結後も、住民は捕虜収容所に留め置かれ、その間に旧日本 軍の基地を拡張したり、新たに住民の土地を勝手に囲い込むなどして 米軍基地建設が進んだ。

 収容所から戻った住民が、生活のためにまずしなければならなかった のは、とりわけ南部では散在する遺骨を収拾し死者を弔うことだった。 「魂魄の塔」はじめ南部の多くの慰霊塔は、骨塚だったものである。

 具志堅さんは、私が在沖(2011年~13年)当時も、証言記録などを もとにガマ(避難壕)での遺骨収集をボランティアで続けられていた。

 去る4月21日に具志堅さんも参加して行われた政府(防衛省・厚労省) 交渉で、厚労省は国として遺骨収集に取り組んできたことを蕩々と 述べた。

 しかし、私には国が沖縄での遺骨収集に積極関与したという記憶は ない。具志堅さんの努力や工事現場などで遺骨が見つかると、通報に もとづき県が収骨作業を行う。その際の費用は確かに国が負担する。 だが、それだけのことだ。

 一度だけ、大々的な遺骨収集作業のニュースに接したことがあった。 那覇新都心の東側、シュガーローフと呼ばれた激戦地の再開発が開始 される時のことだ。

 3.11震災の失対事業(厚労省所管だがあくまで失対事業)として 100人ほどが1ヶ月間、このときも具志堅さんが指導をされて遺骨収集が 行われた。

 具志堅さんは、確実に遺骨を家族の元に返すためにDNA鑑定を求め 続けてきた。厚労省が、それまで軍関係者に限ってきたDNA鑑定を、 民間人にも広げたのはつい4年前、2017年のことである。 

◎戦争責任・戦後補償を曖昧にしてきた戦後民主主義

遺骨収集事業で記憶にのぼるのは、南洋諸島で実施されてきた天皇家も動員しての慰霊と遺骨収集事業だ。そう、国は軍人・軍属とその遺族に限っては、手厚い戦後補償を行ってきた。
 戦後GHQは、軍人恩給の廃止を勅令する。軍人恩給制度は日本の侵略政策を支えた源と総括され、その廃止によって日本の非軍国主義化を計ろうとしたとされる。

 しかし、サンフランシスコ講和による主権回復、再軍備の動きの中で、軍人恩給はいち早く復活をとげ、以来今日まで軍人恩給・遺族年金に著しく偏重した、この国の戦後補償のあり方が作り上げられてきた。

   一方、一般住民の戦争被害は、「国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民のすべてが…その生命・身体・財産の犠牲を耐え忍ぶべく余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかった…このような戦争損害は、…多かれ少なかれ、国民の等しく耐え忍ばなければならないやむを得ない犠牲」(1968年・最高裁)、「戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、…犠牲を余儀なくされたとしても、それは国をあげての戦争による“一般の犠牲”として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」(1980年・原爆被爆者対策基本問題懇談会意見書)
等、いわゆる「戦争被害受忍論」として放置されてきた。

 沖縄戦犠牲者の遺骨収集やDNA鑑定が放置され続けてきたのも、「受忍論」の立場からではなかったか。

 この「受忍論」に正面から対峙したのが、国の戦争責任を明確にした「援護法」制定を求めた原爆被爆者の運動だった。
 その後、空襲被害をめぐる全国空襲連の訴訟などへと運動は引き継がれることになるが、「受忍論」を打ち破り戦争責任を明確にした戦後補償の考え方は、この国の戦後民主主義の中に、ついに確立されることはなかったといっていいのではないか。

 沖縄戦犠牲者の場合は、さらに事情は複雑になる。
 すべてが灰燼に帰した戦後の極貧生活の中で、一部の「戦争犠牲者」を「戦闘参加者」へと書き換えることで、恩給支給措置が取られたからである。
 日本軍による壕追い出しは「壕の提供」へ、食料強奪は「食料提供」へ、「集団自決」(強制集団死)は「戦闘協力」へ等々。
 そのため、靖国神社には、自ら生死を選ぶ意思など持ち得ない
“0歳の英霊”が祀られている。
 沖縄戦をめぐるこれら戦後補償のありようは、戦争責任の追及を不十分にしかなしえなかった、この国の護憲運動と戦後民主主義のありようを問うてもいるのだ。

◎“希望”としての沖縄−赤木雅子さん、沖縄から全国行脚をスタート

 悪夢のような国会が閉じ、沖縄のコロナ禍は人口比全国一の水準のまま収束が見えず、そのなかでも辺野古工事は止むことなく続いている。
 そんななかで、強く勇気づけられた出来事がある。
 森友問題で決裁文書の改ざんを強いられ、自死した元近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、雅子さんが真相解明を求める全国行脚を沖縄からスタートさせたのだ。

 5月14日には、具志堅隆松さん、普天間基地所属ヘリの部品が落下した緑が丘保育園の皆さんらと、15日には、辺野古ゲート前を訪ね、島袋文子さんらと対面した。
 さらに、具志堅さんのハンストを知った雅子さんは、6月21日PCR検査を受けた上で、日帰りで平和の礎に具志堅さんを再訪されている。

 以下、「週刊文春電子版」から。
 …「今度は私が応援したいと思ってとんできました」…ハンスト会場には、遺骨入りの土砂による埋め立てについて「戦没者を二度殺すようなもの」と書かれていた。これに雅子さんは目をとめた。
 「夫の作った赤木ファイルを黒塗りにして出すのも、夫を二度殺すようなものです。沖縄の遺骨もそうだと思いますが、一体何度殺したら気が済むんだろうと思います」(6/22)
 沖縄という場所と人の持つ力は、このようにして心ある人たちをつないできたのだと、あらためて気づかされる。
 その力は、「一日も早い…」「唯一の…」という政府の常套句が繰り返されるなかで、この25年の間、辺野古新基地建設を阻止してもきたのだ、そう思う。その力を信じたい。

【追記】
「遺骨土砂」をめぐる問題を、全国にどのように広げていくか。それは、玉城知事の「(辺野古設計変更)不承認」を支持し連帯する活動の重要な柱となるだろう。
 以下、各地の取り組みの参考に。

・資料「1」は、全国の自治体議員ら242名の賛同により、6月22日、防衛省などに手交された。
・資料「2」は、全国で始まっている政府に対する自治体決議を求める陳情のひとつ。すでに石川県金沢市議会、大阪府茨木市議会、吹田市議会、東京都小金井市議会、奈良県議会などが可決している。千代田区議会は自民の反対で継続審査中。

[資料「1」] 2021年6月22日

沖縄戦戦没者の遺骨等を含む土砂を基地建設に使用しないよう求める要望書

 アジア・太平洋戦争における沖縄での戦いは1945年3月末に始まり、6月23日に組織的戦闘を終えたとされています。この沖縄戦は日本における唯一の県民を総動員した地上戦であり、沖縄県民と日本兵、米兵等あわせて 20万人余の尊い生命が失われました。
 日本軍は5月22日に首里司令部を放棄して南部へ撤退、その過程で南部地域の多くの住民が戦闘に巻き込まれました。県民の犠牲者数は10万人を超えましたが、その半数を超える犠牲者は首里から南部に撤退し、戦闘が終了する1ヵ月間に集中しています。
 戦後、県民はいち早く戦没者の収骨を進め、慰霊碑を建立して、戦没者の霊を弔ってきました。しかし、いまだに激戦地であった南部地域の収骨は終わっていません。
 一方で名護市辺野古沖を埋め立てての米軍基地の建設が進められています。しかし埋め立て海域は政府も認める軟弱地盤で、工期も工費もどれだけかかるか、いまだに見通しは立っていません。

 しかも2019年2月に行われた住民投票では、辺野古埋め立ての「反対」が72.15%、「賛成」は19.10%、「どちらでもない」が8.75%となり、県民の意思は反対が圧倒的でした。
 私たち自治体議員は民主的手続きとして、住民投票以上のものはなく、首長はもちろん、政府においても、その結果は最大限に尊重されなければならないと考えています。
 辺野古埋め立て反対が圧倒的な中で、強引な工事を中止しないばかりか、戦没者の遺骨を含んだ南部地域の土砂を軍事基地建設に用いるのは、遺族の心を再び傷つけるものであり、人道上も許されるものではありません。
 よって、私たち自治体議員は、遺族や沖縄県民の心情に寄り添い、また戦争の惨禍を再び繰り返してはならないとの立場から、政府、政党などに、下記事項について強く求めるものです。
             記
1、戦没者の遺骨等を含む可能性のある土砂を埋め立てに使用しないこと。
2、米軍基地が集中している沖縄県で進められている辺野古沖での基地建設を中止すること。
 以上要望書を提出します。

《あて先》
衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、
防衛大臣、厚生労働大臣、沖縄及び北方対策担当大臣、
沖縄防衛局長/自由民主党、立憲民主党、公明党、日本共産党、
日本維新の会、社会民主党、国民民主党、れいわ新選組、みんなの党、沖縄の風

[資料「2」]
 千代田区議会議長 殿
    2021年6月14日 
沖縄戦犠牲者の遺骨を含む土砂を埋め立てに使用しないよう求める陳情

1.陳情理由
 日本で唯一の地上戦となった沖縄戦では、県民の4人に一人、日本兵、米兵等をあわせて20万人余が尊い生命を失いました。
 沖縄の人びとの戦後は、激戦地となった南部地域で犠牲者の遺骨を収集することから始まりました。戦後76年を経た今も収骨は終わっておらず、遺骨のDNA鑑定による身元確定と遺族への返還の取り組みは始まったばかりです。
 そのなかで、昨年9月公表された辺野古新基地に関する「設計変更承認申請書」では、未だ多くの遺骨が残る南部地域から、埋め立て用土砂を供給する計画が明らかとなりました。
 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんは、「戦没者の血や遺骨粉を含んだ南部の土砂を埋め立てに使うのは、県内のみならず、国内外にもいる遺族の心を傷つける人道上の問題だ」と訴えています。具志堅さんの訴えは、基地建設に対する賛否の立場を越えた、共通の思いではないでしょうか。
 千代田区は、戦後50年の節目となる1995年に「国際平和都市千代田区宣言」を行い、以来毎夏、沖縄・広島・長崎へ区民らによる平和使節団を派遣し、平和事業の担い手育成に努力してきました。元ひめゆり学徒の方からの講話と南部戦跡見学は、沖縄使節団の学びの柱でした。
 沖縄からの声に、こんどは私たちが応答する番だと思います。
  以上の理由により、下記事項の陳情を行うものです。

2.陳情事項
 議会において以下を内容とする意見書を採択し、政府および国会に提出してください。
(1)戦争犠牲者の遺骨等を含む可能性のある土砂を埋め立てに使用しないこと。
(2)住民を巻き込んだ苛烈な地上戦があった沖縄の歴史をふまえ、日本政府が責任を持って遺骨収集を実施すること。

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