安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 宮間純一教授と歴史から国葬を考える〈AERA〉

安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 宮間純一教授と歴史から国葬を考える〈AERA〉

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みやま・じゅんいち/1982年生まれ。中央大学教授。専門は日本近代史。宮内庁宮内公文書館研究職を経て現職。著書に『国葬の成立』(photo 本人提供)

■戦後復興のシンボル

「吉田茂が亡くなったのは、日本が敗戦から立ち上がり高度経済成長期に入って国民が生活レベルで豊かさを実感できるようになっていた時期です。国葬が行われた翌68年には『明治百年記念式典』が日本武道館で行われ、明治維新以降の日本がいかに素晴らしかったのかと近代を賛美する歴史像が現れていた時代でもあります。一方で時の政権は、ベトナム戦争に対する反戦運動など難しい課題も抱えていました」

 吉田は戦後復興を進めてきたシンボル的政治家だった。その吉田が行った功績の面をたたえることで、当時首相だった佐藤栄作が自らの政治基盤を安定したものにしようという意図があったのではないかという。

 天皇・皇后・皇太后を除けば、岩倉具視から吉田茂まで、国葬になったのは計21人。その中で皇族・元大韓帝国皇帝を除く14人は政治家か軍人だ。

 今回、安倍晋三氏の国葬が発表された時、宮間教授は「まず驚いた」と振り返る。

「国葬は国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見・思想を抑圧しうる制度。戦後日本の民主主義とは相容れないもの。大日本帝国の遺物で、現在の日本には必要のないものと考えています。それを今、再現させるのはどういうことなのか。岸田首相はじめ国葬を決定した人たちは、その点を検証していないのではないかと思います。そういう意味でとても怖い」

 宮間教授は、今回の国葬が民主主義を壊す一つのステップになることを最も懸念する。 「もちろん、国葬だけで今の政治体制や国家の在り方が劇的に変わることはないでしょう。しかし、戦後の日本国憲法下において、国民主権は基本原理。『国葬』(『国葬儀』)と名乗る儀式を実施する以上、国民が同意して行われなければいけません。国民の同意をつくる場は行政府である内閣ではなく、国民が選挙で選んだ代表者で構成される国会です。吉田茂の国葬も何ら議論のないまま強行された。国葬に関する法律がないのに国会での審議を省き閣議決定したことは、議会制民主主義に反します」

 今回、閣議決定で国葬を行った前例が将来的に、再び時の政権に利用されないとは限らない。前例をつくったのは、そういうことを意味するという。

■すでに「分断」生じる

 55年前の吉田茂の国葬では、政府は各省庁に弔旗掲揚や黙祷を求め、学校や一般の会社にも協力を求めた。今回、政府は「民間に弔意表明を要請しない」と強調する。だが、宮間教授は、国を挙げて葬儀をする以上、影響が出ないことはあり得ない、何らかの影響が及ぶことは必然的にあり得ると語る。

「すでに、国葬を行うことで国民が分断される状況が生まれています」  7月12日に安倍氏の私的な葬儀が増上寺(東京都港区)で行われた際、政府が指示を出したわけではないが、いくつかの自治体の教育委員会が学校に対し半旗の掲揚を要請した。今度の国葬でも、同様の事態が起き得るだろうという。

 民間企業でも同じだ。例えば、経営者や上司が国葬に賛成の立場だった場合、黙祷などを求められる可能性もある。その際、国葬に反対だったり、興味がなかったりする人がどれほど従わずにいられ、内心の自由を守ることができるのか。国葬が終わった後も、「あいつは右だ、あいつは左だ」というレッテル貼りが始まるのではないかと懸念する。

「私は、安倍氏に限らず国葬そのものが不要だという意見です。一方で、国葬が必要、安倍氏の国葬に賛成という意見もあります。重要なのは、賛成派も反対派も内心の自由が守られなければいけないことです。弔意を示さないことも、示すことも強制されてはいけない」

 そして、こう続けた。 「岸田首相は、かつて戦争に動員するために用いられたことのある儀式を、何の検証もなしに何のルールもないまま今日に蘇らせました。その事実を、国民一人一人が考えてほしい。民主主義を守るためにも、大事なことだと思います」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2022年9月26日号

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