逼迫する医療 自宅療養と入院難民の先にある「多死社会」

逼迫する医療 自宅療養と入院難民の先にある「多死社会」

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毎日新聞

自宅療養者のうち酸素投与が必要となった人のための「酸素投与ステーション」を視察後、取材に応じる東京都の小池百合子知事(右奥)=東京都渋谷区で2021年8月21日、宮間俊樹撮影

 新型コロナウイルス感染症の治療について、政府は入院対象者を重症患者や特に重症化リスクの高い人に絞り込み、原則自宅療養とすることを可能とする方針に転じた。

 急激な感染拡大に慌てふためいたあげくの窮余の策だ。とはいえ、国の大方針は以前から医療も介護も「在宅」が基本。コロナ禍での「入院難民」の続出は、日本の医療、介護の将来像かもしれない。  

◇病床数のつじつま合わせ

 5月のゴールデンウイークのさなか、東京都内で元公務員の70代の独居男性が自宅の風呂場で死んでいるのが見つかった。男性は「胸がおかしい」と訴え、知人から医者にかかるよう勧められていた。それでも発熱はなく、そのままにしていたという。足が悪く閉じこもりがちだった男性は食事もまともにとれず、ひっそりと亡くなっていた。死後、保健所の検査でコロナへの感染が分かった。

 コロナの「第5波」では首都圏などで病床不足が続く。重症でも入院できずに死亡する人が相次ぎ、焦った政府は重症患者らを除いて「在宅」の原則を打ち出した。「患者の主流が死亡リスクの低い若い世代に移った以上、高齢の患者を想定した『皆入院』方針は改めないと」。それが官邸官僚の言い分だった。

 しかし、実情は頼みのワクチンが欠乏するなかで感染爆発が起き、官邸主導で病床数のつじつまを合わせようとしただけ。在宅患者の重症化リスクを見極められるのか、幼子を抱えた人、身寄りのない人に目が届くのか、といった数々の疑問は置き去りにされた。  

◇進む「在宅」への流れ

 もっとも、医療資源に限りがあるのはコロナだけではない。

 肺を病んで都内の病院に半年近く入院していた男性(72)は昨年秋、院長から「転院か在宅に」と言われた。が、都内の息子家族の家は狭く同居はできない。近隣の病院にはことごとく断られ、最終的には何の縁もない埼玉県郡部の病院に入らざるを得なかった。

 逼迫(ひっぱく)する医療保険財政の下、国は長期入院の保険点数を削ってきた。病院は、もうからない慢性病の高齢者を早々と追い出すようになった。高齢者を病院から介護施設へ誘導し、さらに在宅へ――という大きな流れは止まらない。

 戦後ベビーブームの「団塊の世代」が来年度から順次75歳になる。これから首都圏では高齢者数が倍増する見通しだ。それなのに人口当たりの病床数、介護施設数は乏しい。

 高齢化で死ぬ人も急増する。全国の年間の死者数は現在130万人前後だが、2030年には160万人程度に膨らむ。厚生労働省は40年ごろに49万人分のみとりの場が不足すると推計しており、都市部では死の間際に行き場のない人が続々出かねない。  

◇不足する看護師、介護職

 打開策として同省が掲げるのが「地域包括ケアシステム」だ。自宅を中心に高齢者が最期まで「住み慣れた地域で自立した日常生活を営む」ことを目指し、生活圏に医療、介護、生活支援など専門職によるネットワークをつくる。

 ただし、看護師や介護職の不足は一向に解消されていない。厚労省の推計では40年度に介護職で69万人足りなくなるという。

 非正規雇用で結婚できないまま老いる人が増え、いま約35%の単身世帯は20年後に4割近くになると予測されている。自宅で家族の介護を受けられる人はますます減っていく。かといって、比較的安価な特別養護老人ホームは入居待ちであふれている。

 都の監察医務院によると、19年度に東京23区内で亡くなった独居高齢者は3913人。遺体発見まで8日以上かかった人は高齢者を中心に1935人に及ぶ。

 福岡県内の古びて崩れそうなアパートの一室。1日45分弱、週3回ここに通う50代の女性ヘルパーは、記憶が怪しくなってきた独居男性(79)のことが気がかりだ。掃除や洗濯など身の回りの世話以外にも、体臭や衣服の湿り気など確認すべきことは山ほどある。

 ところが、国はやはり苦しい介護保険財政にらみでホームヘルプを利用できる時間を減らしてきた。要介護度が低い人の生活支援については市町村に委ねることさえ狙う。「国のやることは在宅生活の支援を難しくすることばかり。包括ケアの理念に逆行していませんか」。ヘルパーはそう言って、ため息をついた。  

◇見えてきた多死社会

 近所付き合いの薄い都市部では民生委員らの「おせっかい」を拒み、生活指導や医療につなげることが難しい人もいる。厚労省は成功例の一部自治体を盛んに喧伝(けんでん)するものの、そうした地域は情熱を持つカリスマ的な医師や行政マンら「超人」が支えている例も少なくない。

 コロナで自宅療養となると、性別役割分担意識が色濃く残る日本の場合ケアをするのは女性になりがち。感染リスクにさらされ、仕事に行くこともままならない。にもかかわらず何の手当もない。不安定な非正規雇用で職を失った人も多い。

 「医療崩壊」が起きつつあるなか、こうしたことすら解消されないままこの国は「多死社会」に突入しようとしている。【吉田啓志】

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