0:02 / 2:53 9.27国葬阻止武道館へデモ

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安倍国葬粉砕!9・27闘争

安倍国葬粉砕!9・27闘争

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在日ミャンマー人が「国葬」に抗議の声 市民弾圧の国軍政府を招待「悲しい」 神戸

在日ミャンマー人が「国葬」に抗議の声 市民弾圧の国軍政府を招待「悲しい」 神戸

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ミャンマー国軍政府を招待した日本政府に抗議する在日ミャンマー人ら=神戸市中央区三宮町1

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「脱出できるのはお金持ちだけ」“劣勢”ロシア “エンドレス徴兵”続く可能性も(2022年9月26日)

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「脱出できるのはお金持ちだけ」“劣勢”ロシア “エンドレス徴兵”続く可能性も(2022年9月26日)

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米日の中国侵略戦争許すな!  「祖国防衛」のデマ粉砕を!

米日の中国侵略戦争許すな!
 「祖国防衛」のデマ粉砕を!

安倍国葬は、改憲・戦争の安倍政治を国家を挙げて礼賛することで、中国侵略戦争に向かっての「挙国一致」体制の構築を狙うものだ。この点を徹底的に暴露し、安倍国葬粉砕の闘いを巨大な反戦闘争として爆発させよう。

台湾に介入し中国挑発

 「米日帝の中国侵略戦争阻止!」の訴えが大きな反響を呼び起こしている。自民党など国家権力中枢は、マスコミや右翼を動員して「米日の中国侵略戦争なんてありえない」「侵略しようとしているのは中国だ」などと叫びたて、排外主義をあおって改憲・大軍拡を正当化しようと必死になっている。

 だが、この間の動きを見るだけでも、米日帝こそが「台湾」問題を切り口に中国を挑発し、侵略戦争を進めていることは明らかである。8月2日の米下院議長ペロシの台湾訪問は、中国政府の反対を無視して強行された。この時米軍は核空母「ロナルド・レーガン」率いる空母打撃群と強襲揚陸艦「トリポリ」「アメリカ」などを台湾海峡近くに集結させ、すぐにも戦争を始められる臨戦態勢をとった。日本のマスコミは中国側の軍事行動を排外主義的に報じるのみで、こうした米日の側の軍事動向をほとんど報道しない。これに続き、8月に米超党派議員団、共和党上院議員が立て続けに台湾を訪問。さらに自民党憲法改正推進本部長・古屋圭司ら統一教会と親密な極右議員らも、そろい踏みで訪台を強行した。

 何より米軍と自衛隊は、中国大陸に襲いかかるように軍事力を強化し、過去最大規模の多国間軍事演習を繰り返している(左図)。米海兵隊の対中国の軍事戦略「遠征前進基地作戦(EABO)」は、中国の防衛ライン(第1列島線)の突破を目的としたものだ。これを想定した日米共同訓練が、九州、沖縄を含む南西諸島で行われている。南西諸島では自衛隊基地が次々と建設され、さらに自衛隊は、米軍のEABOと一体で、新たに射程1000㌔メートル以上のミサイル1000発を南西諸島から九州に配備することを計画している。米海兵隊のラダー中将は「(日本のミサイルの)射程が延びるほど作戦の幅が広がるため、日本の取り組みを支持する」と述べている(「週刊朝日」9月23、30日合併号)。

米軍の新型中距離ミサイルは核兵器

 重大なのは、米軍による日本列島への中距離核ミサイル大量配備計画だ。配備が有力視されるのは射程2775㌔に及ぶ極超音速滑空弾「ダークイーグル」だが、これをめぐっては「米軍は核弾頭を積む予定はないと言っている。だからダークイーグルは核兵器ではない」などというデマがしきりに振りまかれている。

 だが、そもそも中距離核戦力(INF)の定義とは、通常弾頭か核弾頭かを問わず、核保有国が地上配備型中距離ミサイルを保有した時点でそれを核兵器とみなすというものである。だからこそINF全廃条約は、弾頭の種類を問わず射程500~5500㌔メートルのミサイル保有を禁じたのだ(弾頭の取り換えなどいつでもできるのだから当然である)。そして同条約を米帝が2019年に一方的に破棄した直後、日本への配備計画が始動したのだ。配備予定のミサイルが核兵器ではないなどと考える方が無理筋である。

 しかも、米帝は近年、巨額をつぎこんで核兵器の近代化・実用化を進めており、各種ミサイルに搭載される核弾頭の威力は10~50㌔トンで自在に選ぶことができるという(19年10月3日付琉球新報、21年3月5日付朝日新聞など)。これでも「米軍が核弾頭を積むなんて未来永劫(えいごう)絶対ありえない!」などと無責任に主張する者は、核戦争を容認・推進する者とみなされて当然である。

 安倍晋三はウクライナ戦争勃発直後、「今がチャンス」とばかりに、米軍の核兵器を日本に配備する「核共有」を検討すべきだと主張した。この安倍を、岸田は国葬で祭り上げようとしているのだ。米日の核兵器配備の意図は明白である。

米帝危機が戦争の根源

 まさに「新自由主義の大崩壊と戦後世界体制の最後的崩壊」の中心軸として、米帝の対中対決と全帝国主義を動員した中国侵略戦争が現実化している。米国内では〈コロナ×大恐慌〉の深化―インフレの加速と金融政策の破綻の中で階級矛盾・対立が非和解的に激化し、支配階級の分裂も深まっている。そして世界支配崩壊の危機に直面している。ここから米帝は自らの延命をかけて、大国化した中国の打倒とその現体制の転覆を狙う戦争へと踏み出したのだ。日帝も日米安保同盟のもとで存亡をかけてこの戦争に加わっている。

 中国スターリン主義は追い詰められ、本質的に受動的で、対抗的に積極的な行動に出ている。それによって世界の労働者人民の反戦闘争に敵対し、世界戦争情勢を一層加速している。

 労働者階級人民がこの中国侵略戦争―世界戦争を阻止する唯一の道は、自国帝国主義打倒の闘いを貫き、反帝国主義・反スターリン主義世界革命を闘いとることである。労働者民衆の直接行動こそ、歴史を動かす力だ。安倍国葬粉砕、中国侵略戦争阻止をかけて9・27淡路公園に総結集しよう。

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安倍元首相国葬、前夜の反対集会 大阪では900人がデモ行進

安倍元首相国葬、前夜の反対集会 大阪では900人がデモ行進

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毎日新聞

安倍晋三元首相の国葬に反対する集会で声を上げる参加者=大阪市北区で2022年9月26日午後6時52分、大西岳彦撮影

 安倍晋三元首相の国葬を翌日に控えた26日夜、国葬に反対する集会が大阪市北区の中之島公園であった。市民団体「おおさか総がかり行動実行委員会」が主催し、約900人(主催者発表)が参加した。参加者らは集会で抗議の意思を示した後、「国葬反対」などと書かれたプラカードや横断幕を掲げて、西梅田公園までの約1・5キロをデモ行進した。

【歴代首相の葬儀形式と政府負担額】

 集会では、実行委の中北龍太郎弁護士が「国葬には法的根拠がなく、弔意を国民に強制することで憲法が保障する思想・良心の自由を侵害している」と訴え、国葬の中止を求めた。

 チラシでイベントを知り、職場の同僚らと参加した大阪市港区の会社員、木下浩平さん(50)は「安倍さんは労働者派遣法を改正して非正規雇用を増やすなど格差問題を深刻化させたり、安全保障関連法を強行採決したりした。国民の評価が二分しているにもかかわらず、政府が一方的に国葬を決めるのは乱暴だ」と話した。【隈元悠太】

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在日米軍オスプレイ、高度90メートルでの飛行訓練合意 日米両政府

在日米軍オスプレイ、高度90メートルでの飛行訓練合意 日米両政府

朝日新聞デジタル

在日米海兵隊のオスプレイMV22

 日米両政府でつくる日米合同委員会は26日、在日米軍の輸送機オスプレイMV22が飛行訓練する際の最低高度を、500フィート(約150メートル)から300フィート(約90メートル)に下げることで合意した。期間は27日から10月18日まで。  実施地域は沖縄県をのぞく「日本国内の山岳地帯」で。土日祝日と午後10時~午前7時の実施や、住宅、学校、病院などの上空の飛行を避けるとしている。  防衛省によると、在日米軍のオスプレイの飛行高度については、2012年の日米合同委で「500フィート以上」を飛行することで合意していた。今回、高度を下げる理由について、同省は「実践的な訓練の実施等を通じ、即応性を向上させる必要性が高まっているため」と説明している。

朝日新聞社

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【武器を取ったミャンマーの若者たち②】拷問の日々を彼女が耐えた理由「若い世代が戦わなければ未来失う」

【武器を取ったミャンマーの若者たち②】拷問の日々を彼女が耐えた理由「若い世代が戦わなければ未来失う」

カレン民族同盟に参加し、結婚したモーサットエインとJK(本人からの提供写真)

 27日に行われる安倍晋三氏の国葬に、日本政府が「招待」したミャンマー軍事政権は、抵抗勢力が活発な地域で空爆や放火、虐殺など激しい弾圧を続けている。今月19日には、北西部ザガイン地域で国軍が学校を空爆し子ども11人が死亡、15人が行方不明となった。「招待」が軍政承認につながるのではと、ミャンマー市民や国際社会から懸念や怒りの声が上がったのも無理はない。

 モーサットエインは、22歳。ザガイン地域近くに位置する古都、マンダレーの出身だ。少数民族武装勢力であるカレン民族同盟(KNU)と民主派「挙国一致政府』(NUG)傘下の国民防衛隊(PDF)で編成する「コブラ縦隊」で、地雷や爆発物を仕掛ける班に所属している。

 マンダレーは、民主活動家のタイザーサン医師がいち早く抗議の声を上げ、「国軍が未来を奪った」と憤っていた若者たちを行動へと導いたことでも知られる。彼女もそんな若者たちの一人で、当時は大学生だった。

 モーサットエインは終始、淡々と話したが、軍尋問センターで拘束された日々の経験は、通訳の医師が「ちょっと僕には訳せない」と時折、中断するほど過酷だった。彼女は、1年半前までは普通の学生だったのだ。拷問を生き抜き、残酷な記憶を抱えたままなお、国軍に対峙しようとする彼女に私は驚嘆し、耳を傾け続けた。

 モーサットエインの隣では3歳年上の男性JKが、静かに耳を傾けていた。二人は今年6月にジャングルで結婚したばかりで、コブラ縦隊では同じ班に属し、心身共に支え合っていることが伺えた。

結婚当日のモーサットエインとJK(本人からの提供写真)結婚当日のモーサットエインとJK(本人からの提供写真)

 「自分たちがやらなければ、誰がやるのか。助けをただ待っているわけにはいかないんです」。JKは、若者たちを匿った僧侶や妊婦を、兵士が容赦なく殺害するのを目の当たりにし、武装闘争を決意した。

 「革命を達成できたら、2人で普通の生活をしたい」。モーサットエインはつぶやくように言った。

(連載第1回)

https://news.yahoo.co.jp/byline/funakoshimika/20220916-00314736

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■「戦わなければ未来を失う」

 未来と、将来の夢を返して。国軍がクーデターを起こした時、そんな思いでした。

 私は幼い頃に父を亡くしましたが、精米業を営む母の下で、兄と共に不自由なく育ちました。これからどうしたらいいだろうか。家族で話しました。母は、タンシュエ(1992年から2011年まで軍事政権のトップだった独裁者)と国軍が大嫌いでした。

 「しばらく静かにしていたら、全てが元通りになる」という噂が流れ、私たちは期待と疑いを持って成り行きを見守っていました。しかし2月4日、民主派指導者のタイザーサン医師が、大学前で抗議の声を上げたのです。「若い世代が戦わなければ、未来の全てを失ってしまう」。医師の言葉に、私たちは触発されました。治安当局に一時、拘束された医師が6日に釈放されると、私と友人を含む約30人が彼のもとに集まり、抗議活動を始めたのです。

タイザーサン医師=2021年2月4日、マンダレータイザーサン医師=2021年2月4日、マンダレー(写真:ロイター/アフロ

 マンダレーではその後、大学や職種ごとにさまざまな抗議グループができ、タイザーサン医師は運動のやり方を指導するために走り回るようになりました。当初は医師についていくだけだった私たちのグループも、デモを自分達でやって行くことになったのです。

 全国で抗議デモが行われた2月22日、マンダレーでは百万人が声を上げました。しかし私たちは、国軍や警察はやがて弾圧を始めるだろうと、覚悟もしていたのです。

 予想通りに国軍と警察はゴム弾と催涙ガスを使い始めました。いざという時に逃げるため、自宅の台所で砂糖やベーキングパウダーを使って発煙弾を作り、着火用のライター、それにガスマスクやフェイスシールドも準備して連日、デモに出かけました。上の世代は、そんな私たちに休む場所や食事を提供してくれていました。

■軍尋問センターに連行

 3月3日午前のことです。私たちは街中の交差点付近に数千人が集まりました。「解散しろ!」。バリケードの向こう側から声が怒鳴り声が聞こえ、ゴム弾と催涙ガスが放たれました。そこで、私のグループを含む百人ほどを残し、あとは一旦、退却したのです。

 銃声が響き、バリケード近くにいた19歳のチェーシンが倒れました。彼女とは7年生からの友人でしたが、違う大学に通っていたのでグループは別でした。彼女のグループはメンバーが23人で、チェーシンは唯一の女子。目立っていたから狙われたに違いありません。今の私には分かるのですが、響いたのは狙撃銃の発砲音ではありませした。

射殺される直前のチェーシン(左から2番目)=マンダレー、2021年3月3日射殺される直前のチェーシン(左から2番目)=マンダレー、2021年3月3日(写真:ロイター/アフロ

 思わず、彼女に走り寄ろうとしました。その時、2台の兵員輸送トラックが私たちを挟み討ちするように突進して来たのです。車は女子2人を跳ね飛ばして止まり、兵士たちが走り出て、逃げる者や倒れた者を次々と捕まえました。私は弾みで近くの家の表玄関の鉄格子に体ごとぶち当たって地面に倒れ、6人の兵士に囲まれてしまったのです。

 乗せられた兵員輸送トラックの床に、私と同じグループで女友達のプー、男友達のニッキ(共にニックネーム)、ほかに4人が座らされました。4人は、一般刑務所のオーボーで降ろされましたが、私たち3人は「軍尋問センター行きだ」と言い渡されました。私はバッグに30個の発煙弾とライターを持っていて、プーもニッキも同じでした。軍尋問センターは悪名高き場所です。死んだも同然だ、と思いました。

■首にロープ

 「尋問は明日からだ」。受付で自分と家族の名前、住所を記録された後、そう告げられ、3人一緒に監房に入れられました。15平方メートルほどの房には、男女20人ほどが座っていて、大半は若者です。2時間ほどすると、私たち3人は大きな部屋に連行され、尋問はこの日から始まったのです。

 部屋には20脚ほどの鉄製の椅子が並べられていましたが、尋問は私たちだけでした。背もたれが高い鉄製の椅子に座らせられ、目隠しと鉄の足枷、両手は頭より高い位置でナイロン紐で固定されました。

 「心配するな。拷問はしない。タイザーサン医師がどこにいるのか教えろ」

 尋問官は、3人同時に答えろ、と要求しました。答えの違いをみるためです。最後に会ったのはいつか。どこで発煙弾を作ったのか。同じ質問を何度も繰り返すのです。

 何時間もたって、私たちは解放されました。房に戻る前に通った保安デスクの時計は午後9時を指していました。飲まず食わずで5時間も尋問されていたのです。

 房の中では全員が体を横たえるスペースはありません。私たち3人は交代で横になり、どうに眠りました。

 尋問センターでは、朝には丸パン1個と水が、昼にはお粥、時にはお米とカレーのようなものが配られます。夜はまた丸パン1個と水だけ。トイレは、房の前にいる看守に合図し、手錠をされてから尋問室近くのトイレに連れて行かれます。

 翌日の尋問は昼食後の午後1時に始まりました。この日の椅子は鉄製ではなく、肘掛けに両手を固定され、足枷をされた上に、天井から吊り下げたナイロン紐が首の周りにかけられました。

 「タイザーサン医師に最後に会ったのはいつか」

 「発煙弾はどうやって作ったのか」

 前日と同じ質問が繰り返されます。私とニッキは、うまく嘘を付きましたが、プーは怯えていて、口籠もっていました。回答に不満を感じる度に尋問官は、私たちの後ろに立つ兵士に紐を引っ張らせて、首を締め上げました。

 「お前の顔が気に入らない。どうでもいい、というような顔つきだ」

 尋問官は、私の顔を何発か平手打ちさせましたが、ニッキは激しく殴られて歯が折れてしまいました。

 「どうせ私は死ぬんだ」。そう思っていた私は、どんな質問にも本当のことを言いませんでした。

 「お前たちの行為は(国軍や政府に対する妨害などの意図を禁じた)刑法第505ーA条に相当する。お前たちは国家の敵だ」

 発煙弾が、武器の不法所持やテロリズムに相当すると言うのです。

 3日目に、プーだけが尋問に連れて行かれ、2、3時間後に房に戻ってきました。

 性的な嫌がらせをされたか、と私は聞きました。「いいえ」と彼女は否定し、おずおずと言いました。

 「多分、私たちはタイザーサン医師がどこにいるのか、話すことを考えた方がいいんじゃないかしら」

 尋問官から私たちを説得するように脅されたに違いありません。「私たちはどうせ死ぬのよ」とだけ答えました。

 1日8時間の尋問が一週間ほど続きました。午前から始まることも、午後から始まることもあり、数時間ごとに尋問チームが交代するのです。同じ質問が何度も繰り返されました。拘束から一週間が過ぎると、尋問官は外科用ナイフを脅しに使い始めました。両腕に薄く切り傷を付けるのです。それほどの痛みはありませんでしたが、翌日は、熱したギザギザのナイフで左前腕と足に切り傷を付けた後、「女の体に傷跡が残るのは困るだろう」と、アルコールをかけられたのです。燃えるように痛くて、涙がこぼれてしまいました。

■看守がメッセージを仲介

 しかし、私たちは外の世界と断絶されている訳ではありませんでした。看守の中には、表立って歯向かわないけれども、軍事政権を快く思っていない人たちもいたのです。彼らは外部からのメッセージの伝達や、他の房にいる人たちとの間の連絡役をしてくれました。

 「必ず解放させるから待っていて」という母。挙国一致政府(NUG)の外交担当、ササ医師の名で「頑張れ」と書かれたメッセージの紙は、房のみんなで回し読みしました。「今晩8時、みんなで革命歌を歌え」という伝令も来ました。革命歌「カバマチェブー (世界が終わるまで許さない) 」(アメリカのロックバンド「カンザス」の「Dust in the wind」を基にした歌)は、1988年の民主化運動で歌われました。

 この日は、尋問センターに革命歌が響きました。翌日、歌った者は全員が兵士に殴打されましたが。私たち3人は、窓がない懲罰房に監禁されました。2メートル四方にも満たないその部屋にはすでに1人が入れられていたので、4人で1週間を過ごしたのです。トイレは部屋の隅で済ませるしかなく、ネズミもいて、食事として投げ入れられるパンが床に落ちるともう食べられないほど、不潔でした。私たちはシャツを広げてパンをキャッチする方法を思いつき、食べ物を口にできるようになりました。

 死にたい。生きていたい。心身共に弱っているプーを励ます私の中にも、両方の気持ちがありました。

■「お前たちにも起きること」

 懲罰房から戻されるとまた、尋問の日々が始まりました。

 「解放されるためには、二つの過程を経なければならない」と尋問官は言います。

 「真実」を述べること。そして、(軍事政権トップの)ミンアウンフライン総司令官のスピーチを聞いて、「抗議運動に2度と参加しません」という文書にサインすること。「それをしなければ、釈放はない」

 沈黙する私たちに尋問官は苛立っていました。数週間が過ぎたある日のことです。

 尋問室に、30歳くらいの男性が連れて来られました。兵士が男性の両脇と頭を押さ、手術着の男が3本の取っ手が付いた器具を持ち近づきました。私は咄嗟に、プーに「見ないで」と小さく言いました。

 手術着の男は、器具を男性の片方の目に入れ2度ひねると、彼の前の器に目玉が落ちたのです。男性の絶叫が響きました。

 「元に戻して欲しかったら、それを自分で拾え」

 手術着の男が冷静に命じます。叫び続ける男性は両脇を抱えられ、部屋から出されました。プーは嘔吐していました。

 「お前たちにも、あんなことが起きるんだ」

 尋問官はそう言い、プーを医務室に連れて行くよう指示しました。

 後から聞いたところでは、目をくり抜かれた男性は、少数民族武装勢力の支配地域に行ったものの軍事訓練に参加せず、町へ引き返す途中で国軍に捕まったとのことでした。

■「いつか必ず反撃する」

 拘束から3カ月半が過ぎた6月16日のことです。広い部屋に、ずらりと一列に並べられた椅子の真ん中の3脚に、私たちは座らされました。プーを真ん中に、彼女の左手に私が、右手にニッキが座らせられました。部屋には20人ほどの兵士がいました。

「尋問チームが替わることになった。我々のようにはいかないからな」。尋問官が言い渡しました。

 近くで、男たちの話し声が聞こえます。

 「男を殺したら、女が話すんじゃないか」「女を1人、やったら、他の奴が話すんじゃないか」

 新たな尋問官という男性がナイフをちらつかせながら近づき、一人一人に聞くのです。

 「お前たちのうち1人を殺したら、話すか?」

 それからニッキを立たせて兵士に何度も殴らせました。

 「お前たちを喋らせるには、方法が一つしかないようだ」

 尋問官は、兵士にプーを何度も殴らせ、5分ほどすると、部屋に私たちと同じ年頃の男性が入ってきました。オーボー刑務所で拘束されていたプーのボーイフレンドです。彼は椅子に座らせられ、頭の上で両手を交差して縛られました。

 そして、彼の前で兵士がプーをレイプしたのです。6人が次々に彼女をレイプする様子を私たちは強制的に見せられました。30分以上も続いたように感じました。気を失い床に転がったままの彼女を残して、私たちはは尋問室から出されました。

キャンドルを掲げクーデターに抗議する人々=2021年3月12日、マンダレーキャンドルを掲げクーデターに抗議する人々=2021年3月12日、マンダレー(写真:ロイター/アフロ

 プーはどうなるのか。房に戻された私とニッキが、言葉少なに鉄格子の近くに座っていると、ボーイフレンドが歩いて行くのが見えました。兵士に両脇から抱えられ、うつむいたまま、なんとか歩いていました。彼が私の視界から消えた後、銃声が響き、大きな声が聞こえました。

 私はその瞬間を目撃してはいませんが、彼は保安デスクの職員の銃を奪い、自らを撃ったそうです。

 彼のお兄さんは、ゲリラ活動をしていました。国軍は母親に「息子は病気で死んだ。遺体を返して欲しければ、兄が取りに来い」と言い渡したとのことです。マンダレーでは、この事件はすぐに市民の間に広まりました。

 プーが私たちの房に戻ることはありませんでした。あれきり、彼女を見ておらず、生死も分かりません。家族にも安否は知らされていないのです。

 6月18日、私は、オーボー刑務所内にある法廷で「2度と抗議活動に参加しない」という書類に署名をさせられた後、突然解放されました。母が4千ドル相当の賄賂を渡したからでした。母と兄が刑務所の外で待っていました。

 「さあ、あなたが一番好きな料理をつくりましょう」

 母の最初の言葉です。母は、魚と卵を使った料理をこしらえてくれました。

 いつか必ず、解放区(少数民族武装勢力の支配地)に行って軍事訓練を受けて反撃する。彼らに法的処罰を受けさせる。私が正気を保てていたのは、この思いと、看守が仲介してくれる支援のメッセージのお陰でした。もう2、3カ月、拘束が長引いていれば、私はどうなっていたか分かりません。

■戦いの道へ

 1カ月間は静かに暮らしましたが、その後はじっとしてはいられませんでした。ニッキも釈放されたと聞きました。私は1人で(抵抗運動が活発な)北西部ザガイン管区などを3カ月ほどまわった後、東部に行き、民主カレン仏教徒軍(DKBA)のキャンプに身を寄せました。

 「私は安全な場所にいる。若者たちを支援し続けて」。それだけを母に告げました。私がいなくなったことで、国軍は兄を2度も尋問した上に、母の精米工場に放火したのです。それでも母は、私を応援し続けてくれています。

 私はDKBAで1カ月半に渡って軍事訓練を受けました。7、8キロの砂を詰めたザックを担ぎ、山や谷を走る苦しい訓練も、教官に励まされながらやり通しました。でもDKBAのキャンプは今年1月14日、国軍から激しく攻撃されたのです。私は川を渡って小高い場所に上り、そこから同僚7人が川を歩かされて後ろから射殺される場面を目撃しました。

■夢は生きて家に帰ること

 胃炎に苦しんでいた私は1月27日、治療のためにタイ側の国境の町メソトに辿り着ました。「隠れ家」で休息していた時に、JKと知り合ったのです。 彼はすでにカレン民族同盟(KNU)のコブラ縦隊の爆発物設置班に所属していました。

結婚式でモーサットエインは、カレンの民族衣装をを着た(本人提供)結婚式でモーサットエインは、カレンの民族衣装をを着た(本人提供)

 「一緒にコブラに入らないか」。彼の言葉はプロポーズと同じでした。KNUで二人で活動するためには、結婚しなければなりません。「愛している」と彼が言った時、私も同じ気持ちでしたから、決断は難しくありませんでした。4月5日にコブラ縦隊に参加し、6月22日、彼の上官の中尉たちに証人になってもらって、ジャングルで結婚式を挙げました。白い糸で2人の右手を結ぶ、カレン民族伝統の式でした。

 爆発物の設置は、時には敵の建物にも忍び込むのでとても危険な任務です。この1年半を乗り越え、私はどんなことでもできるのだと、自信が持てるようになりました。

 時間がある時には、タイの携帯電話の電波が拾える小高い場所に登り、母に連絡します。私がいなくなったことで、国軍は兄を2度も尋問した上に、母の精米工場に放火したのですが、母は住む場所を転々としながら私を応援し続けてくれています。

 生きて家に帰ること。それが今の私の夢なのです。

 アウンサンスーチーさんが、武装闘争をどう思うかですか?市民と若者を信じ、その決断を信頼してくれているはずです。

(了) 

ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社に帰任後、ロシア、アフリカ、欧米にも取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材した。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、過酷な日々を生き抜いた人々の愛と死を描いた「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部のクルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員。

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